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3.11を超えて 造形作家が見いだした光 [アート]

読んでて体が震えました。被災した造形作家が本当に大事にするべきものとアートの立ち位置を見い出した まさに安藤さんのこういう実体験実感の言葉 聞きたい言葉でした。我が身に滲みわたります。

安藤栄作「3・11を超える作家たちへ」
[東京芸術大学美術学部杜の会会報第31号掲載より]

大自然の中で彫刻を作って生きていきたいと福島県いわき市に移住したのが20年前。15年間を山で暮らし、5年前からは海沿いの小さな町に住んでいた。我が家は夫婦そろって彫刻家のため、ご多分に漏れずもう長い間経済的に大変な生活を送ってきた。

大地震の起こる10日ほど前、お茶を飲みながら夫婦でこんな話をしていた。「もし、全てが無くなるとして、一つだけ残したいものって何かある?」「一つだけか・・・浩子は?」「そうね、家族のアルバムかな」「俺はアルバムもいらないな」。その頃私は家にある彫刻をみんな海岸に持って行って焼いて大地に還すプロジェクトを考えていた。社会システムとの歪みで溜め込んだ歴史を一度リセットしたいと思っていた。

3月11日、その日久しぶりに高校生の娘も連れ立って家族で街に繰り出した。友人の個展を観た後、近くのショッピングセンターの2階で店を冷やかしながら歩いていた。私達の2時46分はその時だった。その日の夕方、海岸から15mの所にあった自宅は家財や道具、たくさんの作品達もろとも津波と火災で無くなってしまった。空き地に止めた車の中で積んであった搬入用の毛布にくるまって一夜を明かした。翌日、食料やガソリンの調達をしながら避難所の情報を得るためにカーナビのテレビを見ていると、突然原発が爆発した。直後、私達はその場に一緒にいたごく少数の友人達と「必ずまた生きて会おう」と約束をし、かみさんの実家がある新潟に向けて出発した。

自宅を確認しに戻れたのはそれから3週間後のことだった。東京で大学生活を送る長男をいわき駅で拾い、家族4人で現場に向かった。大好きだった海沿いの町はまるで爆撃の後のようだった。焼けた臭いと吹き抜ける放射能混じりの北風に町から命のときめきが消えていた。流失した自宅の前で呆然としていると、娘が小さな箱を見つけて持ってきた。開けてみると中から小さなお人形と着せ替え用の洋服が出てきた。それは娘が幼かった時、かみさんが彼女に作ってあげた木彫りのお人形だった。泥ひとつ付いていないそのお人形は何事もなかったかのように微笑んでいた。人々の心が繋がり織りあがった海沿いの小さな町。今は瓦礫の平原となったその町を以前の記憶を頼りに家族4人で歩いた。一通り町を回り、そろそろ帰ろうかという時、瓦礫の上に見覚えのあるものを見つけた。なんとそれは息子が小さかった頃、私が彼に作ってあげた木彫りの車の玩具だった。その頃家族で乗っていた小さなワンボックスカーがモデルで、ミニカーでは売っていなかったものを手作りしたのだった。小さな車の玩具は私たちが帰る前に「そろそろ帰るのかい」と、ひょっこり挨拶しに出てきたように見えた。不思議な感覚だった。仕事でがつがつ作った大小数百体はあったであろう彫刻達が破壊され無くなり、子供たちに作ってあげた小さくか弱いお人形や玩具が目の前に残っていた。振り返ると瓦礫の平原の中に地元の人が大切にしてきた小さなお社がなぜか無傷で立っていた。存在する本当の力とは何なのだろう。それはこの先の世界をどういう心で、どういう波動に身を置き生きていけばいいのかというメッセージのように思えた。結局私達は何も拾わず、全てそのままに大地にお花とお線香をたむけて帰路に着くことにした。

その後2か月近く、本当にたくさんの方の愛とご支援の中、避難先を転々としながら制作や発表をこなし5月の末に奈良県の明日香村になんとか着地することになる。この間の事を話し始めると、それだけで原稿用紙数十枚の報告書になってしまうので、ここでは触れないでおくが、私のこれまでの人生でこれほど「ありがとう」という言葉をたくさん口に出した日々はなかった。そしてその言葉のおかげで自分の魂が次第にきれいになっていくのも感じていた。

明日香に避難移住し、ほんの少し日常が回り始めた頃、かみさんがつぶやいた。「子供達に幼かった頃の写真くらい残してあげたかったな」。それから間もなくして小さな小包が届くことになる。いわき市にボランティアで入っている東京の方からで、久之浜でアルバムを見つけ、無断で持ち帰りクリーニングをしたのだという。写真の中に私の名前を見つけ、友人とネットで調べまくり送ってきたのだ。包みを開けると、そこには津波でボロボロになった写真たちがクリーニングされ丁寧にビニールに入れられ入っていた。どの写真も子供たちが幼かった頃のものばかり。いったい天はどこで聞き耳を立てているのだろう。震災前、勝ち負けの生き残りの世界で分断されていた人々の心が、あの日を境に何かを想い出したように繋がり始めている。メッセージはそれぞれの立ち位置の人々の手をバトンのように渡り、宇宙を回って必要としているところへ必要としている時に届けられている。

さて、私達アーティストには今何ができるのだろう。あらゆるものが経済というプールに浸かり、生きることが勝ち負けのゲームのように扱われてきた近年。アートの世界も素直にその影響を受け振舞ってきた。一部のアーティストはそのプールで水を得た魚のように泳ぎ回り、また一部のアーティストはその水が合わず、生気を失い居場所を求めて喘いできた。3・11というウェイクアップコール。想像を絶する破壊と感情の揺さぶりの中、私たちは何に気付き何を想い出そうとしているのだろう。もはやアートゲームの波動では時代や人々の魂を支えることはできないだろう。すでにプールにはひびが入り、その外に広がる大海から海水が流れ込んできている。あの日以来多くの人が遠くから想いを寄せ、また直接被災地に入り活動を続けている。それはヒラヒラと変化する社会の流れにあって、せめて自分の人生の中で一つでも確かなものに触れたいという自分自身へのアクションだ。彫刻家の佐藤忠良先生からシベリア抑留の話をお聞きしたことがある。食べ物がない中、生き残った人に共通のことがあったという。それは屈強な体ではなく、詩や文章を書いたり、絵や工作をしたり、歌を唄ったり、何か自分でできることを持っていた人たちだった。アウシュビッツの記述にも似たようなものがある。出所の日を指折り数えていた人はその日が来て出所できないと翌日から次々と亡くなっていった。そんな中、創造的な行為を持っていた人はしぶとく生き残ったという。人間という存在を支えている最も中心にあるエネルギーとは結局内なる魂の光なのかもしれない。

変化は始まったばかりだ。まだまだ大きな災害も続くかもしれない。また、私たちが知らなかった歴史や科学の真相が明かされ、戸惑いと混乱の社会に身を置くこともあるかもしれない。そんな時アーティスト達はその直観力とイメージ力、そして強じんなデッサン力で歴史や空間の全体像を見極め、人の存在の骨格となるメッセージをこれでもかというくらい世界に贈ってほしい。
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小春さんの薔薇 [アート]

50を超えてから作家活動に入った、どころか世界を股にかけて爆発的に活動し始めちゃった小春さんの版画展が開かれています。詩人大江クリスティーヌさんの言葉とのコラボも深みを感じて素敵でした。小春001小.jpg
とても精神的にきつかった時期と本人。見る方はそんな時にこそ作家の腸が垣間見えるようで、身勝手ですが僕はこのシリーズがとても好きです。ちょうど折しも911の前、在NY。予兆か 癒しか 母性が覆うシンクロニシティの中にある と想像しました。
小春002小.jpg
目黒駅からすぐの素晴らしい、とっても気に入って3時間もいてしまった画廊でです。
小春「刺と花びら」絵と詩の螺旋を描く
9月21日(水)〜26日(月)11:00 – 20:00(最終日17:00迄)
Galleryやさしい予感 03-5913-7635
品川区上大崎2-9-25(JR目黒駅から徒歩5分)

Art Polyphony 2011 [アート]


谷底の川面が
逆光の朝日にキラキラと輝く
闇にしずむ戸惑いは
光に砕け散り
川面を渡り
緑の森を抜ける風は
しるされた地に息づく命とともに
復活のたよりを歌う

葉書裏.jpg

昭和47年に東京芸大工芸科に集まった同窓生(TGK47)が、
約40年を経て、作品で奏でるポリフォニー
(Polyphony=異なるメロディを奏でる複数のパートが、協和しあって進行する音楽)
若山他3人はデザイン科なのだが、工芸科の同窓展覧会に混ぜてもらった。
僕が作ったものは多分に工芸的であるし、工芸も広義の意味でデザインなのだから違和感ないのでは、と思っている。実際工芸出身でデザイナーしてる人もいたりして。(この葉書デザインはやらせていただいたのだが、この辺りはグラフィックデザイン出身が向いていたかも)
[参加作家] 井上なぎさ 大田尚作 影山のり子 加藤貴子 久保田厚子 黒木博  鈴木敏和 竹内克己 中村滝雄 永芳太郎 花形澄子 松田典男 宮崎桂 宮崎光二 村上芳本 山本吉男 吉田佐代子 若山和央


●大黒屋ギャラリー
東京都中央区銀座5-7-6 大黒屋ビル7F ☎ 03(3571)0008
2011年9月13日(火)〜18日(日)11:00〜19:00
お問合わせ● 竹内 ( marutake@rose.plala.or.jp )
永芳 ( n123taro@ybb.ne.jp )

地図.jpg
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みどりの戦争 [アート]


 日暮里のお寺だらけの路地の奥、真っ白な倉庫のような空間の中は薄暗く、壁に貼られた写真は老人達。皆それぞれの手に自分の所有物と白い人形(ヒトガタ)を持っている。
その所有物は価値のほとんどなさそうなもので、現物が壁と床に一面にレイアウトされている。雑然とした中に一種異様な美しさを感じる。ものにではない,気配のようなものだ。
  ++++
数年前のジャワ島沖地震のとき、現地にいた廣田緑は率先して救援の組織をつくり、日本からの義援金をつのって末端までその支援物資が行き届く回路を作り上げた。全く頭の下がる女性である。

そこまで深く現地の人とつながった廣田が、重要な事に気づいた。
ちょっと昔の大きな出来事だ。

 その写真の老人達、フィリピンインドネシア、日本、と 様々な国の人々に共通するのは戦争の記憶。もはや戦争の名残が消えかかったぎりぎりのタイミングで、彼女は小さな自作の焼き物像と、老人達の持ち物を交換し始めた。
そして、彼らと戦争の時の話をする。
広田祖父.jpg
 第二次大戦で心に深いものを負った祖父の記憶と、彼女が人生の半分を過ごしてきた東南アジアでの体験がこのプロジェクトを必然のようにつくっていく。
 
 僕が心に描いたのは、戦争で破れ汚れたアジアあちこちのほころびを、昔の当事者の布の両側を引き寄せて、彼女が大きな縫い針でひとつひとつステッチしていく姿だ。
老人小.jpg
「『あの日本』の人が小さな像と自分の何か持ち物と交換して、当時の話を聞いていった。」
それだけのことで、老人達はそれまでの、風化したとはいえネガティブな感情だったものが多少変質していったことは想像に難くない。

 廣田緑はこの場ではメディアに徹して、何も主張をしていない。
唯一気持ちが籠っていると思われるのは自作の焼き物の人形(ヒトガタ)だが、本人は何もそのことは語らない。そこがとてもいい。
hirota像.jpg
*****
友人の廣田緑さんが、とても考えさせられるプロジェクトを進めています。
今回の展示は三か国目の日本。辺鄙な判りにくいところにあるギャラリーですが、3フロアにとてもしっくり収まった、素敵な空間ですので、是非行ってみて下さい。

日暮里HIGURE17-15casにて 11月23日まで
月曜休みで、その他の日は12時〜20時

contemporary art studio HIGURE17-15cas
〒116-0013東京都荒川区西日暮里3-17-15
tel  03-3823-6216
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Bali彫刻界にダイビング [アート]

 僕の場合、いきなり中心に飛び込んだ感じだった。
 そこから本来のふまえていくべき事であったろうプロセスを、順々に見させられたような気がする。
つてを辿ってC小.jpg
 バリに着いて、街を散歩してる時に見かけた彫刻専門の店で出会ったウェチャ(Wetja)先生。
その場で別れた後、結局2ヶ月後に先生の山奥のお宅で制作を始めることになるのだが、その間にもう一人の先生、プジャ(Puja)氏にまず工具使い方ノウハウを学んだ。
 この人のそのまた先生がティラム(Tilam)氏で、バリ近代彫刻の祖とも言える、木のフォルムをダイナミックに使った彫刻をつくる天才である。
 その先生たちの村Masが、シャレじゃないがマスプロダクションシステムを構築して、世界に彫刻を売って「彫刻の村」として有名になるのは、よかったんだか悪かったんだか‥。

 プジャ先生のショールームの片隅に、ちょっと妙な彫刻が置いてあった。
それは枝を使った細かい彫りで、森の精霊か魔物のようなものがびっしりと蠢いているようなもの。
 彫った本人である場合も、そのスタイルで同じように彫ったものである場合もあるが、見分けがつかないくらい、バリ人は本質的なものをすぐにコピー出来るのだ。
 彫刻する人にとっては「何かを表現するスタイルを編み出した天才」と捉えられている。
バリ人が見ると、その「何かがこもったもの」が見えるそうで、当時の作家たちに多大な影響を与えたらしい。
 チョコット(Djokot)という数十年前の人だ。
 Tilam氏も大きく影響を受けているのが見てとれるが、
 結局1年近く師事することになるウェチャ先生も、若い時土産物彫刻を作って売っていたとき、Djokot彫刻を見てショックをうけ、いきなり「土俗シュールリアリズム」を始めてしまったくらいだ。

2ヶ月。体の血がバリに馴染むころ、そろそろいかが なんて声が聞こえたような気がして、Masから遠く離れた山奥のWetja先生の家に向かった。

「壷中天」スカラベ・サクレの夢 [アート]

スカラベ・サクレ小.jpg 
フンコロガシ、 スカラベは、転がしてきた糞玉に、卵を産みつけた小さな玉をのせて洋梨型をつくる。
 孵った幼虫は中の未だレアな糞を食べ、そのままサナギになって成虫になるが、固く締まった洋梨型のカプセルは、毎年起きるナイルの氾濫によって水に溶けなければ、中から若いスカラベが出て来ることが出来ない。
 それは神が行う水による通過儀礼であり、この「再生と永遠の命」は、水にからんだエジプト神話の重要なキーポイントなのだ。
壷+スカラベ2.jpg

・ 「壷中天」とは、「壷のなかに別天地あり」の意で、費長房という男が薬売りの老翁(仙人)が所持する壷のなかに入ると、そこには別世界の仙境があった、という話が後漢書にある。

・ 曼荼羅とサブタイトルを入れたのは、知恵の宇宙観(金剛界)の中に母胎的大悲の宇宙観(胎蔵界)を重ね入れているからである。

・ 私の場合、これに小学生のときに読んだファーブルの昆虫記、フンコロガシの話と、
エジプトの太陽信仰におけるスカラベ・サクレ(フンコロガシ)の話がまぜあわされる。
 スカラベは太陽をころがし、地に埋め、再生を司る、聖なる甲虫とされる。
 神様の一人だ。

           ++++++
 京都東山の安楽寺では、4年前にも沖縄のクバという葉を使った作家小川京子さんとの
共同制作インスタレーション「日月」をやらせていただき、今回2度目になります。
再びそこにて。「日月」の続編にあたる「壷中天」をひらきます。
 4年前は、生命原理である黄金比をベースにして、火と水をテーマに、富士、ルルド、ガンジス、沖縄、竹生島、の水が集まり、日々徐々に混合され、
京都ではあちこちに毎朝汲みに行ったわき水を常に注ぎながら清め、火で力を奮い起こす(と思う)ような構造をつくって、
その場を囲む奇麗な庭に、毎日その水を撒きました。
http://homepage.mac.com/toratres/

その清らかで力のこもった水が撒かれて4年。
今回は、生命の強い息吹のある庭に囲まれた空間で、
命がはらまれ、育まれた、あらたな宇宙を模索して生み出す壷を並べてみよう。
という 夢想をしました。
壷京都葉書2中.jpg


■ 舞台の構造としてはここまでで、ここから先は遊びの世界である。
  好奇心とあらたな発見、実験、組み合わせ、と楽しく遊んでみた。

会期が終わったら、作品HPにおいて報告いたします。

 会期 ■ 2009年5月3日(日)〜10日(日)(7日8日はお休み) 9:30〜16:30
 会場 ■ 安楽寺 書院 ( 要安楽寺拝観料 ¥400)
     京都市左京区鹿ケ谷御所の段町21 tel 075-771-5360
     安楽寺HP http://www.kyoto.zaq.ne.jp/anrakuji/
 協力 ■ 陶芸:真喜志祐子
     光、鉱物関係:川口裕                  

退廃芸術だと? [アート]

 ヒトラーが「退廃芸術展」を開き、いかに何も考えないで、伝統や技法、修練を無視したものはこんな醜悪なものだ というキャンペーンをうち、彼が考える優秀なものー多分に古典回帰みたいな方向ーを示した「大ドイツ展」との対比を狙ったが、「退廃芸術展」の方が4倍も人が入った。ーというのは成功したのか失敗したのかわからないところだ。

  『狂気、厚顔無恥、無能の産物をご覧ください。 
   展示品は例外なくショッキングで、むかつきます。
       (ヒトラーの退廃美術展の開幕の言葉)

  かれらの目の欠陥は、機能的なものか、遺伝的なものかのどちらかである。
  前者であれば、かれらの不幸に大いに同情すべきだが、後者であるとすると、
  少なくともこうしたおぞましい視覚障害がさらに遺伝していくことは阻止せねばならない。
  しかし国民をペテンにかけているのかもしれない。
  そうであるとするなら、そのような行為は、刑法の扱う領域に属すものなのだ。
           (アドルフ・ヒトラー、大ドイツ展の開幕の言葉)

 退廃というのは「頽廃」が正しくて、頽が使えなかったころの当て字のせいでネガティブに思えるが、これはもとは生物学の言葉で、今までのメインストリームから外れた異分子の出現を指すそうだ。
 ヒトラーは挫折した画家で、自分の趣味を国家的に押し付けようとしたんだろうが、芸術というものが異分子であることが明らかになっていく時代、モダンデザインの出現なんてさぞや胸くそが悪かったことだろう。
退廃家族s.jpg
 ジャックタチの「ぼくのおじさん」なんかはフランス流の皮肉たっぷりでアメリカンモダンを戯画化したが、ああいうユーモアで切り込めず、力で存在を許さなかったのは、多分に偏執的ドイツ気質なのかも。そしてモダンの国にやられてしまう。 
惜しかった。ヒトラー的なものもあってよかったのに。

鉄人アトム? [論]

 押井守が演劇に挑戦するらしい。
 その「鉄人28号」のキャッチコピーにぎくりとした。

「純粋無垢は罪である」

 この話の本質にざっくり切り込んでいる。
 演劇で鉄人? という疑問に、その切り口のテーマなのか と納得しました。

 鉄人はアトムとともに同じ「少年」に連載していたんだけど、今から思うと横山光輝は「アンチアトム」、手塚治虫の甘ったるいヒューマニズムに(しかし裏には手塚の絶望に近い悲しみがあるようにも。)対して、シニカルな視点でリアリズムをやったのじゃないか、と大人になってから思うようになった。しかし深いテーマをよく子供向きに書いていたものだ。
 もともと人殺しのために作られた機械、それを使う人によって善にも悪にもなるってものだもの。

 ここに編集者の思惑なく、偶然当時の少年の中に機械の持つ多面的要素を植え付けたんだとすると、同時平行に起きた、相互補完的な事だったかもしれない。
 最近どんどん作られる現実のロボットの様々なタイプを見ていると、この二つの側面が如実によく出ている気がする。

[追記 2010/7/22]
ああ 認識不足でありました!
先日、唯一と言っていいくらいなんですが、読んでなかった昔の手塚作品「魔人ガロン」を読んでびっくり!なんとこの中に構造としての鉄人も、マジンガーZもその延長のエヴァンゲリオンも入っているではないですか!
でも1959年というから… これは微妙だ。アトムが1952年、鉄人が1956年 となると
手塚としてはリアリズムでアンチテーゼとしての鉄人に相当注目したんじゃないか、と思われ、
ガロンにそんな要素が織り込まれたことも、なんとなく読み込めそうである。



ロボット小.jpg
「鉄人アトムンガーZ」

奇玉 [論]

この世の中のどこかにみっつの玉が埋まっている

ひとつは皆仲良く平和になれる玉 和玉
ひとつは戦いに勝つ強さのもてる 荒玉
もうひとつが予想もつかない発想と行動で世をかきまぜる 奇玉 

この あってもなくてもよさそうな 奇玉 なのだが、これこそが一番最初にあった玉なのだ。きっと。
原始的でラディカルで。悪戯っぽく笑いながらころころころがる。
奇玉小.jpg

皆 赤ちゃんとして 手に小さな奇玉を握って産まれきたに違いないんだけど、
いつのまにかそれは真っ白な和玉になったり、真っ黒な荒玉になったりして、
成長なんだか退化なんだかわからないものになってしまう。

奇玉は いまいずこ。  くー しー たー まー ! やっほーっ!

半熟の人 [アート]

 パリ在住だった(今は知らない)セネガル人の友人、彫刻家のウスマン・ゲイは、年に一度、
母国の森にナイフ一本持って入り、2週間をすごす。

 生易しいサバイバルではない。食料も水も現地調達だし、猛獣、毒虫、風土病、何でもありだ。
 何故そんなことを? という理由は 僕は聞かないでも理解していた。
 半熟を保つためだ。
半熟の人小.jpg

 成功し作品が売れようが、有名になろうが、そんな完成品としての自分から逃げる。
 大人になりそうな自分から逃げる。
 社会に組み込まれそうな自分から逃げる。
 そして
 文明と機器に囲まれた、その便利さと合理性を遮断して、ナイフ一本を朋友とした「野生の少年」を取り戻す。
 彼だけの儀式なのだ。

 一度「一緒に森に入ろう」と誘われた。セネガルの森と日本の森。パリと東京で2人展をやるために。
 しかし 決裂。
 わかっていながら、僕はそのあまりの野生についていけなかった。
 約束は守らない 気まぐれ 集中したら周囲は無視 衝動に忠実 …
 アフリカアジアから遠く、めっぽう深い。
 僕は彼が含み笑いをする「現代都会人」から抜けられなかった。

 「お前みたいにコンピュータどっぷりだと、モノなんか作れなくなるからな、見てるがいい。」

 森に一緒に入る誘いに乗っていたら、 半分くらいは彼の心も身も理解していた、 かも。
 普通「たられば」は言わないのだが、これだけは悔いが残っている。
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